占いが出来るってなあに???
2月末から毎日、出来るだけ占いをネタに
ブログの記事をアップしてきました。
もう少し、為になる記事とか書けばいいのだろうけど
少しでも占いを齧っているものとしての
小さな疑問や占いに対する気持ちを書いてきました。
時事ネタも占ってみたり。
時事ネタは自己満足が多いけど。
で、時々思うのが
「占いが出来る」って何だろうと。
たまに「占いが出来るなんて凄いですよ( ´ ▽ ` )」
なんて言われることがある。
でもね、卜占系のはそんなにハードル高くない。
昔からある草履を投げて天気予報を占ったのも
卜占みたいなもの。
占いを続けるのはそこに「好き」という気持ちが
少なからずもあるから出来るということもある。
「占いが出来るなんて凄いですよ」って言われると
否定してしまいたくなる。
何が凄いの??って。
何も凄くない。
会社の事務とかには必要のないスキルだし。
って思っちゃうんですよ。
下手したら勘違い野郎になってしまうような分類です。
詐欺扱いされるカテゴリーです。
私は占いが好きだから、占いが悪者のように扱われると
悲しいし悔しい。
自分の知らないことを知っている人は確かに凄いと思う。
でも、その人にとっては普通のことでしかないのかもしれない。
凄いねって言われることで自己肯定感が高まるだろうけど。
なんかね、何とも言えない気持ちが湧いてくるんですよね・・。
case file NO,28
女の子の痛ましい事件。
— 占い屋 月斗優 (@tukitoyu) 2017年3月27日
犯人は捕まるか。
不安定さを持ち合わせてる。
面識あり。
犯人は捕まる。#ライダータロット pic.twitter.com/HIEhiihLwT
報ステを見ていますが
通学路に見守りの人いたんですね。
2箇所にいたのに見ていないのだとしたら
家出たすぐぐらいに消えたことになる。
未来を考える。
未来の予知をタロットで・・・。
というのが私の「頑張ろう」と
思っているところです。
でも、人の思考までは予知するのは難しいと
思ってる。
予知できるのは「事象」だけ。
そしてその「事象」は
人の「気持ち」から派生して起こることもある。
人の気持ちの「予知」は出来ないけど
「予測」は出来る。
その予測は「経験則」からくるものもある。
人の気持ちを考えたことがない人は
予測も出来ないかもしれない。
未来は「引き寄せているのか」
「引き寄せられているのか」
捉え方次第ではどちらでもあるとも言える。
自分が未来を呼び込んだかも知れないけれど
未来に呼び込まれた可能性はないとは
言えないかも???
そんなことも考える。
世の中の全て
《卵が先か鶏が先か》に尽きてしまうのか。